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2024/10/07 06:24 |
虐め茶番劇!

 

【コラム・断】イジメで自殺するくらいなら
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/breview/29130/

 

長文が苦手な諸兄のために要約すると、

「虐め問題は11年前、さらに遡って常に問題となってきたことであるが、社会は『復讐は悪である』と建前の繰言ばかりで被害者を救済できぬまま今日に至っている。
復讐は本来個人に帰する権利だ。虐めで自殺を選択する被害者よ、ならば復讐を果たせ。
少年法が君たちを守ってくれる」

ってとこになる。

 

つまりは少年法の建前を被害者も利用しない手はない、という意味だが、当然ながら皆がこれを実践すれば社会は崩壊する。その寸前までに事は至っている、と呉智英氏は現状の危機を訴えているわけだ。
いや氏の意向としては訴えて、ではないだろう。そうなれ、日本滅びちまえということだ。

 

であればオレは全くもって完全に同意だ。

 

 

 

で終わるとブログ的に面白くないんで続き。(A`)

 

虐め問題について「やられたらやり返せ」という論調はこれまでもあった。が、呉智英氏の論が画期的なのは、「やり返す」という言葉に秘められた健全性、いうなれば穏当な解決は現実として困難を極めることを暗に認め、「少年法を悪用」「復讐」という陰湿な解決案を肯定したことだ。

被害者の心の中でわだかまる復讐心は、社会的には認められない。イスラエルとパレスチナの例を出すまでもなく、復讐の応酬が何か素晴らしいものを生み出した例は皆無に近いうえ、これを認めたら全ての人間は、特に支配者は常に暗殺の恐怖に怯えることになる。だから現代社会は、復讐を影に日なたに「悪」と呼び押さえ込んでいるわけだ。

 

では、誰が虐めの被害者を救済するのか。被害者の内心で渦巻く憎悪は、どうやって解き放つべきなのか。犯罪であればそれは法であり、加害者への法の適用であり、加害者を罰することだ。
しかしこれまでは、虐めは犯罪扱いされていなかった。子供のすることであり当事者も子供であるので、将来を考えたら穏当に、つまりナイことにしてしまうのがベストのように社会は考えてきた。「時間が解決してくれる」というわけだ。
そう考えたら、虐め問題での学校側の態度がことごとく事なかれ主義一色である理由がわかるだろう。学校も社会であるので、当然そういう考え方になる。

 

虐め被害者の親が、加害者宅に乗り込んで相手をボコボコにしたという記事がしばらく前にあった。
多くの人は嫌悪感を抱いただろう、それは社会を構成する一員として当然の反応だ。が、あえて言う。
子供は救われた気分になったはずだ。一時的にせよ。

 

子供に対して「悪いことをしたら罰せられる」という教え方がそろそろ、通用しなくなっているのではないか。そも、それを語る学校が罰しないのだから、これが子供にとっていかに空虚に響いているか。
むしろ、「誰かを害したら国が代わりに復讐する」と言えばいい。罰とは法の上での概念ではなく、原理は復讐であることを教えるのだ。であれば「なぜ法を守らなければならないの?」などという阿呆なことを言う子供も減るだろう。
前述の子供は、親の行動こそが法の原理であるとおぼろげながらも理解したはずだ。反社会的行動であるが、親は教育を果たしたとオレは考える。

 

ただまあ、復讐を肯定するにせよ、その原動力は被害者自らが生み出さないとならない。
被害者は例外なく優しいが故に、他傷よりも自傷を選択しがちだ。
内へ沈み込んでゆくベクトルを、外へ向かうものとするブレイクスルーをどうやって生み出すか。
オレは、他者としてのひとつの答えを知っている。

 

被害者を全面的に肯定してやれ。
被害者が感じている悲しみ、怒り、復讐心を全面的に肯定してやるんだ。
それがいかに法を外れる考えであろうと、完璧に肯定しろ。
「うまく解決する方法を」などと下劣な腐心をするな。
そのような考えをした瞬間、お前は加害者の側となり被害者とは永遠に同じ地平に立てない。

 

弱者への加担とは法の逸脱をも意味する。
その覚悟なき識者、言えば矛盾する制度の側が虐め問題の解決案をつらつらと提示する茶番に呉智英氏は、そしてオレも失笑を禁じえないわけだ。

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2006/11/28 09:14 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択
小ばかにするにも程がある!

各局がリアルタイムで放映してた、崖っぷち犬の救出劇。
まー、どうなるかと思いましたが、助かって何よりですね。( ´∀`)

 

なんて言うわけねえだろ。
はっきり言う。あの報道をみて自分がマスコミどもに小馬鹿にされているって感じない奴は、自分の正気を疑え。

夕方6時のニュースで1分流せば済んでしまう内容を延々と、各局が競って放送する様は正気の沙汰ではない。虐め問題や教育基本法改正、偽装建築やTMヤラセなど、今の日本には報道すべき出来事が山ほどある中であれを報道する意図は何か。

 

フェラチオである。

 

荒んだ世の中の一服の清涼剤だと暗に言いながらお前らの事なかれ精神をせっせとしゃぶってスッキリさせ、「まあワンちゃんも助かったし、今日はとりあえずオッケ!」とリアルから目を逸らせようとしてるのである。つまり、この程度でお前らは満足するだろうと馬鹿にしているわけだ。
それ以外に、報道機関が争って間抜け犬のドアップを映すという異常事態を演出する意図はありえない。
画像からマスコミの驕りすら嗅ぎ取れ、まるでゲロの海に突き落とされたような気分だ。

 

普通は、そういう報道機関を責める。
どういう意図があるにせよ、異常な報道を行う決定をし実際に行ったのは報道機関そのものであるので、まあ当然そうなる。
が、オレは何度も繰り返している通り、日本丸ごと自殺論者であるのでお前らを責める。これを読んでいるお前らを、だ。

 

この腐れキンマンコどもが!

 

お前らが正気を保ち、そういうクソしょうもない、まさに両生類のクソを集めただけの価値しかないような報道を拒否し続ければ、報道も必ず変わるというのにお前らはワンちゃんに心を奪われて!!

 

お前らの心を奪ったのはワンちゃんではない、お前らを愚民扱いしている報道機関だってことを認識しろ。


2006/11/24 16:13 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択
無神経の暴力!

オレはとある店で店番をすることがある。

 

店の前には広い歩道があり、車でウチに寄る客はそこに車を停めて店内の用事を済ませる。
本来は歩道は駐車場ではない。無論交通違反になるのだが、ごく短時間であるということと車を2台並べて停められる位に広いので歩行者が通れないほど邪魔にはならないこと、加えて駐車場がないということで、それ自体はあまり責める気にはなれない。

 

が、しかしそれでも、見ていると思わずぶん殴りたくなる客がいる。

 

歩道のド真中に停める客。
まあ歩道に停めるほどモラルが劣化している奴だから、このくらいはザラだ。
もう歩行者とかアウトオブ眼中、後から来た車も、そいつかどかないから発車できずに後ろでじれったそうに待っている。せめて邪魔にならないように、とかそういうのぜーんぜんなし。空いてるから停める。おそらくこういう客が、障害者スペースにも平気で駐車するタイプなんだろう。

 

歩行者にクラクション鳴らす奴。
歩道は歩行者用の道だって、自動車学校で習いませんでしたか?
お前が邪魔なんだよ。精薄のチンカスが。

 

歩道から車道への出口を塞いで停める奴。
もうここまで来ると、悪意があるとしか思えんくなってくる。運転中も前しか見ず、曲がる直前にウィンカーをあげるような連中なんだろう。しかもこういうのに限って、トロい。年配。
日本を腐らせたのはお前らか、と。

 

しかし、今挙げたのにも増してひどいのは、

 

点字ブロックの上に停める奴。
避けて停めるだけの広さがあるにも関わらず、全く完全に無神経に、まるでそこが駐車スペースなのよと言わんばかりに、どかーんと。

 

さらに今挙げたのを併せ業でやる奴とか、もう終わってるだろ社会人として。
死ねとまでは言わん、こういうのからは選挙権を剥奪しろや。もしくは国籍剥奪でもいいわ。
一足先に世界市民にしてしまえ。

 

「ちょっとだけだから」「このくらいは」が積もり積もってモラルが崩壊してゆくという好例をオレは、店番の度に目の前で見せられる。
そして、日本は核ミサイルで一瞬にして自滅すべきであるという信仰がより強固になっていくわけだ。


2006/11/23 03:08 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択
甘えています!

在日の耐えられない軽さ
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4121018613

 

とりあえず、これは抑えておかなければいけない本だろう。
まだ買ってないけど。(A`)

 

鄭氏は本著の中で「日本人も『世襲の日本人』に甘えていないか」と問い掛けているが、安楽死すべきと考えているオレにとってはまさに膝打つ名言。これだけで買う決意を抱かせる。

 

山本七平氏の「日本はなぜ敗れるのか」http://www.amazon.co.jp/gp/product/4047041572/ref=pd_bxgy_b_img_a/503-1238422-9327905も併せて読むべし。こっちは買って読んで目からウロコがボロボロ零れ落ちた。
アジア戦線に駆り出されてから敗戦、その後までを綴った一兵士の日記を元に、「敗れた」のではなく、なぜ宿命論的に「敗れる」のかを洞察する本著は、「世襲の日本人」たちが未来永劫読み継ぐべき一冊だ。むしろ小学校の夏休みの必須読書にすべし。いやダメだ、またキチガイ教師が「日本はこんなに愚劣ですよ」とか言うたり作文させたりするからやっぱ大学生以上限定。(A`)

 

日本人は克服すべき問題が山ほどある。
その上で、朝鮮人や創価、同和などの腐敗勢力を排除しないとならない。


2006/11/20 09:00 | Comments(2) | TrackBack() | 未選択
安楽死 3

総理官邸内、他の区画から通路一つ隔てた密室で、国家公安委員長から口頭で報告を受けた総理大臣、浅尾正は全身から脂汗をたらし始めた。

 

「それは本当かね・・・?委員長」
「まだ確証は取れていませんが総理、パーセンテージで言うなら80以上だと考えています」
「バカな・・・それが本当だとして、一体何人の協力者が必要になると思ってるんだ?非現実的過ぎる!」
浅尾は、そばにあった漆黒のデスクをドンと殴る。デスクの上の電話機が踊り、受話器が外れてチンと鳴った。
「公安の調査では、おそらく10万人単位の協力者が存在すると見ています」
「全く有り得ん!それよりも、システム自体への介入を疑うべきだ!」
浅尾の前で直立不動でいる公安委員長に、浅尾は顔面を寄せて口泡を飛ばす。唾のつぶが公安委員長の顔全体に飛び散るが、微動だにせず言葉を継ぐ。
「システムおよびその関係者はすでに背後関係も含めてチェックしました。全員シロとみていいでしょう。
あと外部から操作し得るのは、投票そのものしかありません」
「よし、もしそうだとしてだ・・・本当は、『滅びるべき』が過半数を超えていたというのが納得できん!
しかも2回目以降、増加傾向にあるだと!?それが工作によって覆されていた、だと!?
もしそれが日本への工作なら、むしろ結果は逆だろう!?」
浅尾は目を剥き、委員長にくってかかる。唾が委員長の顔面に再度飛び散る。
委員長は初めて胸ポケットからハンケチを取り出し、額を軽くぬぐうと総理の疑問に答え始める。
「その点については今も公安で分析中ですが・・・推測の話をしてもよろしいですか?」
「かまわん、言ってくれ」
「少なくとも今、日本が自滅をすると困る勢力であるのは間違いないでしょう。
資金源はアメリカか中国か・・・いずれも、日本とは密接な関係にあり、日本の消滅により多大な影響を蒙る国々です。
なんにせよ、対象となるのがあまりに膨大な人数ですので、現状の予算内では綿密な調査がほぼ不可能です。現在は、被疑グループの内でキーパーソンとおぼしき人物に絞って尾行等の調査を行っております」
浅尾は片手を机に置き、指でコツコツと鳴らし続ける。思考をめぐらせる時の彼のクセだ。
「・・・この件については、絶対に外部に漏洩しないように配慮したまえ。
調査は進めてもよろしい。予算も配分するように手回ししておく。但し・・・」
そこで浅尾は、言葉を切ってまた指で机を鳴らし始めた。先ほどよりも早いテンポだ。
「但し・・・どういたしましょう?」
「・・・うん、その組織らしき背景を突き止めるだけでいい。摘発などはせずに」
「わかりました。以上でよろしいですか?」
「ご苦労さま。次の報告を待っているよ」
公安委員長は一礼をするときびすを返し、重々しい木製のドアを潜り抜けて廊下へと姿を消した。
それを見送った浅尾は、重厚な皮張りの回転椅子を引き、そこに体を沈める。
意識は、黙考の海をどこまでも深く潜り始めた。

 

国家安楽死法案が国会にて可決されたのは、殆ど冗談のような奇跡である。
前の政権である我孫子内閣がレイムダックとなったのをきっかけに、2大政党の民自党・主民党から大量の若手議員達が離脱し、新たに国民党を結成した。「生きる力を国民に」をスローガンに掲げた若い政党はマスコミの援護射撃もあり、両党のそれを凌ぐ国民の期待を集めた。
なによりも大きかったのが、民自の大物保守派議員、浅尾と主民の元幹事長が国民党に合流したことだった。国民党が政権を取り得ると判断した公正党がこれに付和雷同、国民党は衆院での議席数の実に2/3を確保してしまった。

 

国家安楽死法案が提出された時、公正党は与党でありながら徹底抗戦の構えを見せた。が、国民党初代総理大臣となった浅尾はここでウルトラCを繰り出す。失われる公正党の票を、野党である社会党で補ったのである。
社会党党首と浅尾の間でどのような密約が交わされたかは今だに誰も知らない。ただ会合の席で「あんた、日本と心中する覚悟はないんかい」という浅尾の咆哮が廊下にまで響いたという逸話がまことしやかに語られるのみだ。
社会党の票、それに公正党の造反組の票を若干加え、国家安楽死法案は賛成多数で可決された。「国民が生きる意志を失ったら即座に自滅する」という前代未聞の法案が、国民の総意により通ってしまった瞬間だった。

 

それから第1回目の安楽死投票の結果が出るまでは、日本は一種の躁状態となった。
メディアでは投票結果の予測が盛んに喧伝され、株価はそれを受けて暴騰と暴落のビッグウェイブを繰り返す。自殺や犯罪の急増が社会問題となり、家庭用核シェルターと銘打ったドラム缶を買ってきて庭に埋めている父親の姿をちらほらと見かけるようになった。
にも関わらず、音楽売上げチャートの一位はやはりラブソングであり、パチンコ屋は変わらず大繁盛し、人々は明日の楽を夢見ながら今日の仕事をこなし、夜になると布団に潜ってはせっせと夜の営みを行う。テレビのスイッチをひねるとコメンテータが早口でまくしたてている「安楽死投票の予測」が、まるでSF映画の一場面であり自分には関係ないと思い込もうとしているように。

 

浅尾内閣の支持率は急落した。
投票1ヶ月前にしてようやっと事の重大さに気づいた人々は、口々に浅尾を罵り始めた。が、浅尾の国会での答弁がふるっていて「皆さん、死にたくないと思うなら反対票を投じればよろしい。あなたの一票があなたの生死に直結しているわけで、これ程真摯な投票は歴史上でもそう行われていませんよ」とそらとぼけたものである。
日本はもうダメなのか、まだ大丈夫なのか。
みんな死にたいのか。死にたくないのか。
老若男女を問わず、互いが何を考えているのか、この社会をどう思っているのかが気にかかり、安楽死投票でどちらに投じるのか、投じるべきなのかを語り合う。死の存在を身近に感じられなかった今までと違い、条件付きでの人生のリミットが目の前に突如出現してからは、人々は急いて言葉を交わし始めた。
投票結果が出るまでに何をするべきか、まだやり残したことはなかったか。やり残してもいいやと思えることと、これだけは残せないということを慎重に分類し、それが人々の行動の指針となった。誰もが渋々認めざるを得ないことに、死への緩慢な傾斜は生を程よく刺激する。だがそれが国民党と浅尾の功績であるとは、誰もが絶対に認めはしないが。

 

そして投票が行われ、日本は半年、命を永らえた。
第1回に限って言うなら、良きにしろ悪しきにしろ、それが国民の総意であったわけだ。


2006/11/15 23:08 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択

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