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2024/10/07 02:14 |
やっぱ自殺しかねえよ!(#゚Д゚)

「みんなやっている」「処分やめて」4社が県に要望
http://www.nnn.co.jp/news/070112/20070112002.html

久々に言うぞ。

お前ら、一緒に核ミサイルで自殺しようや。

建前である「談合をしない」にも、そして談合をしていたから罰するという建前にも殉じようとしない。
そうしないと会社が潰れるから、死ぬからという本音だけが露呈している。
共生という発想の行き着く末は体制の腐敗という良い例である。

ならいっそ、法律など廃止してしまえ。
それほどまでに建前が疎ましいなら、法などまるっきり無視して本能のままに全てを貪ればいい。
そうして、全ての事を他人のせいにして、互いに殺し合いをしてしまえ。

談合に参加できなかった業者は、談合業者に殴りこみをかけてぶち殺せばいい。
電車の入り口に座り込んでて邪魔な高校生は、乗客全員でぶち殺せばいい。
裏口入学できなかった受験生は、ショットガン片手に教授宅に押し入り住民を片端から吹き飛ばしてやれ。
赤信号で立ち止まらない歩行者など、ひき殺してその死体を次々と踏み潰し、ミンチにすればいい。
実弾攻勢ですら国会議員になれなかった者は支援者と共に、当選者の支援宅を一軒一軒回って血祭りにあげ、金品を強奪すればいい。
頼りにならん首相は、全国民が手に手に包丁を掴んで国会に殺到し、なます切りにしてやればいい。

朝鮮が因縁をつけ続けるのが気にくわないなら、国民総出で在日をみなくびり殺し、ソウルを火の海にしてしまえ。
中国がいつまでも謝罪を求め続けるのがうざいなら、全国民で北京に攻め上り老若男女をみな血の海に沈めてしまえ。
アメリカの独善的威圧がムカつくなら、技術力を結集して超強力な核ミサイルを作り即座に撃ち込んでだだっぴろい焦土にしてしまえ。

そうして日本人だけの世界にし、日本人で殺し合いをして絶滅してしまえ。

それが望みなんだろう?
この要望書を書かせたお前は?(A`)

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2007/01/12 13:38 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択
きもいっての!( ゚Д゚)

【溶けゆく日本人】モラル破壊の惨状 “自己中”マナー
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/34435/

 

電車内で化粧をするのはイクナイ。
ではなぜいけないのか、法律で禁止されてもいないのに?

食事をする場所ではないとこで、ものを食べるのはイクナイ。
ではなぜいけないのか、法律で禁止されてもいないのに?

 

判りやすく言えば、きもいからである。
その姿は例えるなら、歩きながら糞をたれる動物のようである。
多くの人がそのようにきもく感じるから、そういうことをしてはいけない。
そういうことが理解できない人間が増えている。

 

しかし、そういうのをきもく感じるのはなぜだろうか。
それを明確に説明できないことには、相手を納得させることができまい。

 

セックスを隠れてするのは、なぜか。
動物のセックス時間は数秒から十数秒と短い。なにかの本で読んだが、アフリカの原住民のセックスも同様に短いらしく、つまりそれが隙だらけの状態だからってのを本能的に判ってるから、という説がある。

食事や化粧も、セックスほどではないにしろ隙のある状態である。
毛づくろいをしているネコをつつくとかなり嫌がるし、食事中の犬の尻尾を触ったりするとガブリと噛まれたりする。「今これに集中してんだからジャマすんな!(#゚Д゚)」というわけだ。
が、これが自然の中であれば、つついたり触ったりするのは天敵である。ギニャーと一声叫び、己の迂闊さを悔恨しながら一目散に逃げ出すだろう。

 

隙だらけである。
毎日の「ネット君臨」第1回に出てきた被害者たちも、産経の記事にでてくる連中も。
そして人間は、隙だらけの人間というのを本能的に好きになれない。
社会を維持する上で、ちょっとした隙からそれが崩壊する危険性があり、隙だらけの人間は存在自体が反社会的であるからだ。
だから、人は自分の不合理性はとりあえず棚に上げつつ、他人には隙のないことを求める。合理性を求めるわけだ。

 

お前はどちらの社会がいい?

隙のない、理路整然とした、合理性が支配する緊張した社会か。
もしくは隙だらけの、雑然とした、不合理がまかり通るが気兼ねのない社会か。

 

どっちも嫌、と思ったなら正常。
そう、兼ね合いなんだよね、全て。(´・ω・`)

 

だがコンビニの前で座り込んでメシを食うほどにしまりのない社会はごめんである、オレは。
歩きながら糞をたれる動物と何が違うというのか。(A`)
そして、そう思う人間は少なくないと信じている。だからこうして、記事のようにトラブルになるのだろう。

 

ほんとマジで、やばいってこいつら。
今のうちにシメとかんと将来、絶対あれだ、

 

歩きながら糞をたれる女子高生も出てくるぜ?(A`)


2007/01/10 20:57 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択
渾身のオナ記事!( ゚Д゚)

ネット君臨:第1部・失われていくもの
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/kunrin/news/20070101ddm001040002000c.html

新年2番目のブログとして、これを避けるわけにはいかん。
毎日新聞による渾身のネット批評記事だ。( ゚Д゚)

 

先に一言で批評するなら、
毎日新聞涙目プギャーwwwwwwwwww

 

ってことで、涙目プギャーの部分を掘り下げてみよう。

 

記事の主張は大きく、以下の通りである。

  • 2ちゃんねるを発信源とする「祭り」という名の集団リンチにより、一般の人々が苦しめられ被害者となることが多々あるが、当事者たちは被害者の苦しみまでには思い至らないようだ。
  • 2ちゃんねるは現在、管理人が管理義務を放棄しており無法地帯と化している。利用者たちは匿名を隠れ蓑にして個人を徹底攻撃し、時には違法行為すら行う。

お前らも判っていると思うが、これはそう外れてはいない。
記事としては、2ちゃんに代表される匿名文化の暗黒面をよくレポートできている。告発記事としてはいい出来だ。そう思わないヤツは、自分がバカだと思え。( ゚Д゚)

 

だが、オレも含め多くの人間が「これは変な記事」だと感じているのはなぜか。

 

記事内の一文を引用しよう。

> 「切込隊長」のハンドルネームで知られ、かつて2chの運営にもかかわった
> 会社役員の山本一郎氏(33)は「欺まんと笑いがあると見られればネタに
> される」と語る。たとえ事実が誤っていてもその二つの要素があれば、ネットで
> 火が付く危険がある。 (赤字筆者)

この一文の前に記載されている、祭りに晒された主婦の例でいえば、きっかけはブログであった。
ブログに綴られた主婦の傲慢さ、我田引水の論理、人を人と思わない言動、そしてあからさまな違法行為が、祭りの火種となった。
ディルレヴァンガー事件の際は、猫を虐殺する様子をリアルタイムで報告する非道さ、そして当人の「捕まるわけないだろ」という挑発が火種となった。
そしてさくらちゃん祭りでは、背後のボランティア団体の怪しさ、募金という行為にそぐわぬ両親たちの社会的地位が火種となった。

 

火種となる事実はあったのである。ただ、一度火が付くとその後に明らかにされる情報の中に虚偽が混じっていても参加者は、大いなる義憤、そして秘めやかな嫉妬心を原動力にそれすら燃料にしてさらに燃え盛る。それが「祭り」の特徴だ。

 

いってしまえば、祭りで晒し者になる人間は全員迂闊なのである。法的にせよ道徳的にせよ人間的にせよ、みな迂闊なのである。
それがこの記事によれば、さらし者には非がなく、祭り好きな極悪人どもの無差別テロの犠牲になったかわいそうな人たちということになっている。

 

非があるだろオイ!(#゚Д゚)

 

この記事に疑問を感じる人々の殆どは、そこでひっかかっているわけだ。

 

晒し者たちは、プライバシーを暴かれなければならないほど罪深かったのかといえばそうではない。ただ1つ、1つだけ理解が足りていなかったという共通点がある。
ネット上は、「公」と「私」の境界線が存在しないという事実だ。

 

インターネットとは基本コンセプト自体が「公」なのである。そこで「私」丸出しで迂闊な言動を綴ることの危険性を判っていれば、また「公」らしくなき対応をする愚かさを判っていれば、どの晒し者たちも火種にはなりえなかったと断言できる。
例えば、お前がTVに出ることになったとしよう。「この時間はあなた専用ですのでなに喋ってもいいです、裸になってオナりはじめたっていいです」と言われて、お前は我が意を得たりと服を脱ぎ始めるか?
たとえそれがケーブルTVの、特定契約者のみだけ視聴できるチャンネルであったとしても、視聴者を意識した言動をするのが普通である。

 

SNSの代表であるミクシィが「私」であると思っている人間がまだいるなら、本格的におめでたい。
コンセプトが「公」であるネット上での私的領域とは、事前に管理者の許可なき閲覧を禁じる旨を告知しており、閲覧にはブルートフォースでも解析困難なIDとパスワードを必要とする、暗号通信が前提の領域だけだ。さらに言うなら特定のIPからのみのアクセスだけ許可していたりIDとパスワードがワンタイムであったり、無法な閲覧を試みられた瞬間に領域がロックしたりするような所だ。ここまでやっていればようやっと、私的領域だと思ってちょっとだけ安心していい。
ネットの究極の私的領域とはつまり、ネットに繋がってない所なのだ。それ以外は大なり小なり公的領域だ。
「おともだちに紹介」とかできるとこが私的領域だなんておめでたすぎる。

 

毎日新聞のこの記者が勘違いしている最大の部分はまさにここである。
つまり公器として、ネットの本質が公的領域であることを忘れてはいけないという啓発をこそ行うべきであるところを、私的領域を侵害するバンディットが跳梁跋扈している2ちゃんねる、という印象を読者に与えることで警戒感を呼び起こそうとしている。これではまたぞろ、ここなら2ちゃんねらも見に来ないだろうとたかをくくったバイト店員が「店にくるモーオタどもがマジきんもーっ☆」という日記を公開して祭りの火種になることだろう。
甘すぎる。2ちゃんねらはいわば霞であり、どこにもいないがどこにだっているというのに。(A`)

 

シリーズらしいので、最終的な結論まで読んでみないとならないだろうが一言。

 

毎日終わったな。(A`)


2007/01/07 21:11 | Comments(1) | TrackBack() | 未選択
謹賀新年!(#゚Д゚)

明けましておめでとうございます。( ´∀`)

 

新年早々「核で自殺wwwww」と言うのもなむいので('A`)、ちと違う内容で。

 

年末から年始にかけて、個人的に天国と地獄を往復しました。
いや、そうすごいコトではなく、単に金持ち→貧乏となっただけですが。(*´∀`)

 

そこで思ったことが、「オレにとっては5万円も5億円も大して違いがないな(´・ω・`)」ということ。自由に使える金がいきなり手に入ったんだが、結局よい使い道が思いつかず朝鮮玉入れに使い、また貧乏に。極大と極小は同一であるというが、ちょっとそういう気持ちを味わったわけだ。
消費を刺激するには、金持ちや貧乏人ではなく中間の人々を対象にしないとダメだといのは、そこに根源がある。そして朝鮮玉入れが流行るのもそこに要因がある。100円単位でも1万円単位でも流行らない。あれは千円単位での遊びだからこそ流行るのだ。

 

でまあ、じゃあ失った金でなにが出来たのだろうか、と考えてみても思いつかない。
いやできた事は沢山ある。美味しい物を食べたりいい服を買ったり車のパーツを変えたりはたまたどこかへドライブに出かけたり。だが、それら日常では欲求として湧き上がる事柄も思い返せば別にいいや、と('A`)

 

大好きなのは車だ。
ビートに乗ってるのでも判るように、しかも普通のではなくイカす車。スピリッツのある車だ。特に、アウディに買収される前のランボルギーニがいい。普通、車に「ディアブロ(悪魔)」なんていう名前をつけますか?(゚Д゚)

 

ちなみに↓がディアブロ。震えるほどにスピリチュアル。
この車になら抱かれてもいい。抱かれたら死ぬけど。(*ノノ)
 

 

で、こういう車は欲しいが、値段は1せんまんえんオーバー。
5万円の使い道が思いつかないというのは、そういう意味だ。('A`)

 

結局、欲しいものがないのである。
刹那の欲望は当然ある。生きるうえでの原動力となる欲望がない。
昔はそうでもなかった。いい曲が書きたい、人の中に残る曲が書きたい、という欲望があり、そのために音源やらいい仕事やらが欲しかったのだが、今はない。
愛は欲しい。が、燃え上がるようなものは求めていない。そういうのは疲れるし、愛ほど移ろいやすく壊れやすいものはないという事実から目を背けるほどに若くはない。

 

かわいている。疎ましいほどに。

 

そう思うと、40を前にしてオレはすでにポイント・オブ・ノーリターンを迎えていることに気づいた。
余年をいかにして過ごすべきか。このブログの方針からすると「核で自殺wwww」になると思われるかもしれないが、あれは前提として生の誇りがある。今のオレのような状態では皆に訴えるわけにはいかない。('A`)
そう、いかにして生きるべきか。

 

お前はいかにして生きているんだ?

 

よく死ぬにはよく生きないとならない。
よく生きるとは、生命の蝋燭を燃やし尽くすことだ。
燃やし尽くすには、蝋燭の成分を把握し的確に燃焼する必要がある。つまり、「オレは何者なのか?」だ。

 

断じて言うが、これと「自分探し」を混同しないこと。('A`)
あれは単に、何物にも興味が持てないのを誤魔化しているだけだ。
オレが今語っているのは、己の根源、スピリッツの話だ。日本語にとっての言霊だ。

 

人は他者が存在することにより初めて自己を認識できる。
オレが何者なのか、はつまり、他人の中にのみその答えが存在する、とも考えられる。
では、どうやって他人と関係をもてばいいのか?オレはどういう風に他人から関係を求められているのか?

 

オレは、アジテイターであるという自覚がある。
クリエイターである以前に、アジテイターである(詳細は省く)。
しかし、今その能力がくすぶったままであると認識している。
これを解放しないことには、よく生きることができない。つまり、オレはよく死ぬことができない。

 

今年の、今後の目標はだから、アジテイトに全力を尽くすことにする。
オレのために、お前らを、世間さまを、全世界をアジってアジってアジり倒すことにする!(`皿´)


2007/01/03 02:41 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択
判るが、またカタカナか!

【こども 生活改革】「ゲームリテラシー」教育を
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/life/pet/33038/

 

・・・あー・・・なんというか・・・(´A`)

 

いや、この教授の言っていることはよくわかる。
実際オレも「GTA」にハマってた頃は運転がヤバかった。赤信号で待ちながらふと、「歩道・・・走っていいんだっけ?(・ω・)」とか思ったりした。
普通の人はゲームと現実の区別がつく、とか言うが、ヴァーチャルなめてんのかと。VRの究極は「もう1つのリアル」であり、そうなったら常人には区別などつかなくなる。今は単に、感覚的に現実と違うというだけであり、その差も徐々に狭まりつつある現在、こういうことは今のうちに真剣に考えるべきだ。

 

そう思うんだが、なんでリテラシー言うか!
情操教育と言えば字面を読むだけで得心するものを、リテラシーリテラシーとオナニーを覚えた猿のように!

 

「ゲームリテラシー」と喋った瞬間の、この教授の得意げな猿顔が目に浮かぶわ!(#゚Д゚)


2006/12/30 02:07 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択

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