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2024/07/09 07:38 |
事実からの決別。( ゚Д゚)

そろそろオレらも、「事実」から決別すべき時がきたと思う。

 

 

ってかずーっと昔からすでにそうなんだけどな。(A`)

 

 

オレが高校生の頃は、本多勝一の本は多感な青少年のバイブルみたいなもので、そこに記された内容は「真実」であった。
NHKは暴利をむさぼる悪徳公営企業であり、旧日本軍は支那人や朝鮮人を笑いながら惨殺しまくった極悪集団であり、一般企業は従業員から搾取し日本政府は国民を騙しアメリカは日本を虐げ。
なんて世の中だ正義はどこだ、憲法9条を守って自衛隊解体だ(#゚Д゚)と、ひとり怒りに身を震わせたりしたものである。

 

 

時代は流れ、ネットの普及により昔では知りえなかった情報に接するようになると、まず憲法9条護国論の幻想が木っ端微塵に打ち砕かれた。次に朝鮮や支那との関係についての幻想が、そして最後に、「正義」という幻想が無残に崩れ去った。
正義など存在しない、この世には「真実」のみが存在するんだ(´・ω・)と、遅まきながら理解した。

 

 

そして今。
オレはここで新たに提唱を試みたい。

 

 

「真実」など存在しない。
現象と立場と解釈が「真実」を育むのである、
と。( ゚Д゚)

 

 

机の上においてあるレンガに、転がってきたボールがぶつかったとしよう。
この場合、最も妥当と思われる(これすらまやかしの言葉であるのは後に説明する)表現は、

・レンガにボールがぶつかった

こうなる。
しかし、この現象をレンガから見た場合はこうなる。

・ボールが猛スピードで私にぶつかってきた

さらに、ボールの立場から見た場合はこうなる。

・私の接近をレンガは避けようともせずぶつかった

もっと言うなら、この机の立場から見た場合は、

・暗黙を了解と思い込んだレンガとボールが、私の上で勝手に行動しぶつかった

まだ言うなら、ボールを転がしたのはお前であり、レンガとボールは他人のものを無断で持ち出しており、さらに持ち主が激怒している場合、

・私の許可もなくボールとレンガを持ち出した者が勝手にぶつけて遊んだ

止まらずに言うなら、しかしこのレンガとボールはそいつの物ではなく他人から盗んできたものであることをお前が知っていた場合は、

・盗人風情が自分のことは棚に上げて、私がレンガにボールをぶつけたことをなじる

切れ目なく言うなら、実はお前とその盗人が生き別れの兄弟であることを知っている隣人がそれを見た場合、

・生き別れた兄弟が己の残酷な運命も知らず、レンガとボールごときのことで言い争いをしている

調子に乗って言うと、その隣人が実は。

 

 

本当に際限がなくなってしまうのでやめるが。
つまり陰謀論とはこうやって作ればいいのである。おわり。( ´∀`)

 

 

 

 

で終わると命題はどうした、となるので。(´・ω・)

 

 

極端な例であったが、このように現象が現象を生み、それが連綿と続く因果律をどこで切るか、どういう立場で解釈を試みるかにより、真実などいくらでも生み出せるのである。
小学校で習う5W1H、「いつ」「どこで」「だれが」「なにを」「どのように」「どうした」はつまり、金太郎飴のような現象を最も薄く切り出そうということなのだが、その各項目ですら立場と解釈でいかようにも変幻する。

 

 

では、お前は何を信じればよいのか。オレたちは何を信ずるべきなのか。
確かなことはないのか、間違いのないことはないのか。

 

 

実は簡単なことだ。
真実とはお前が望んだことである、ということをはっきり自覚すればいい。( ゚Д゚)

 

 

すべからく世界とは、お前の目と耳を通してお前の脳に到達した情報が、これまでの情報の蓄積を駆使して脳により解釈・再構成されたものであるという事実。まずこれを認識し、そういうシステムであるがゆえに真実とはお前が解釈・再構成できたものしか存在し得ないという必然を理解する。
そして世界はおしなべて、お前も含めた全ての人々の解釈・再構成の集合体であるという恐怖を受け入れる。

 

 

いわゆる「客観」などは存在せず、その刹那の大多数の人々の同意こそが客観という幻想である。

 

 

だからお前は、正義を探すのにあくせくする必要などない。
お前はもともと正義なんだから。
お前が信じたいものを信じ、お前に同意する人間を探し集めればいい。
同意してもらえないなら、同意してもらえるよう知力を絞ればいい。

 

 

「事実」とはそこにあるのではなく、ましてやマスコミが報道するものではない。
まさに、お前が作るものだ。
それを理解しろ。

 

 

それこそが、「事実」のくびきからの脱却なのである。( ゚Д゚)

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2007/02/15 13:33 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択
欠けているもの、それは知性。(A`)

<MovieBlog>映画『硫黄島からの手紙』で欠けているもの

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=84423

 

 

・・・まあ、とりあえず読んでみてほしい。(A`)

 

 

まず、韓国人が以前から主張している「植民地時代に日帝はハングル文字を弾圧した」が、この記事では見事に忘れさられている。

 

 

>総督府機関紙ではありますが、唯一のハングル新聞だった毎日(メイル)新報の
>45年3月23日付です。(中略)
>当時は日本軍部がマスコミを完全に掌握した時代なので、

 

 

ハングル文字の新聞(機関紙)を、弾圧していた当の総督府が発行ですか?
しかも軍部がマスコミを完全掌握しているさなかに?
変に思わないんですか?それとも3歩歩くと全て忘れるんですか?(A`)

 

 

まあ、韓国のご都合主義・ケンチャナヨ精神にかかれば、全てがこの按配であるので驚くにはあたらないが、この映画を見た感想がまたすごい。

 

 

>いろいろずっと考えてみたら、映画には何か決定的に欠けていたものがありました。
>まさに植民地時代、朝鮮人の「恨」と悲しみです。

 

 

オレは別に、併合時代の「恨」と悲しみを否定しようとは思わない。
いかに言おうとも、朝鮮が独立国でなかった時期というのは存在した。
現在の朝鮮人がそれを悲しき歴史であると感じるのは至極当然だろう。
現在の朝鮮人が、な。

 

 

「硫黄島の手紙」に対して「朝鮮人の苦悩が表現されていない!< `Д´>」という主張を行うのは逆に言えば、記者はこれをプロバガンダ映画だと解釈したと理解できる。

なぜそういえるか。
記事の最後、

 

 

>今後、誰か硫黄島戦闘をまた映画として作る機会があれば、
>朝鮮人犠牲者も忘れずに加えてください。

 

 

とあるにも関わらず、硫黄島2部作である片割れの「父親たちの星条旗」については何も言っていないからだ。

見てないから言ってない?硫黄島戦闘についての映画で朝鮮人の苦悩が表現されているかどうか気になったのに、同じ硫黄島をテーマにした「父親たちの星条旗」は見ていない?
それとも、アメリカ側からの視点の映画だから、見る必要もないと思った、と?

 

 

>特に『硫黄島からの手紙』はこれまで米国映画では珍しい日本軍の苦悩を扱ったという点で
>高い評価を受けています。

 

 

硫黄島での日本軍の実態を描き、高い評価を受けた作品であるにも関わらず、その中に朝鮮人の苦悩が描かれていないから不満に思ったのだろう?
つまり、

「ウリたちの苦悩が描かれていない駄作映画に高い評価を与えるなニダ!<# `Д´>」

こう言いたいわけだ。
日本にとって硫黄島がどういう戦争であったか、というのを描こうとした作品でも、朝鮮人の苦悩を表現せないかん、と。
これが韓国の新聞記者の知性である。

 

 

まず恨ありき。
この記事からも読み取れるように、韓国人の原理は知性でも論理でもなく、まず最初に恨がある。恨を絶対基準とし、それを解消することが善となる。がしかし、恨の解消により相手に発生する恨には留意しない。つまり自己の恨こそが行動原理なのである。

 

 

では、こういう人間ばかりの社会を維持するにはどうすればいいのか?
日本の原理である怨霊信仰では、慰霊により怨霊を抑えればいいのだが、恨の場合は相手がまだ生きている。であれば、自分に対して恨を持つ人間をねじ伏せるしかない。それは暴力であり、あるいは法であり、また時には論理である。逆の立場であれば、内心こもった恨に悶々としながら従うしかない。
日本に対して喧々とやかましく、中国やアメリカに対しては弱腰な理由も、そして韓国人の国連事務総長がアフリカ諸国の代表に「廃墟から立ち上がった韓国を見よ」と素っ頓狂なことを言い出す(http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2007013090878)のも、この原理を通してみれば一目瞭然だろう。

 

 

つまり韓国(あるいは北朝鮮も)では、暴力も法も論理もすべて、恨の解消手段でしかないというわけだ。
だから平気で、常々は「植民地時代に日帝はハングル文字を弾圧した」と言いながらその反例をまた別の論拠に用いる。そして日本軍の映画を見れば、そこに恨がない・解消されていないのを嘆く。
全てが恨なのである。

 

 

だからあれだ、韓国産キムチにも当然、恨がこもっていると思うべし。
異物が混入してたら「ああこれが恨か(A`)」と。


2007/02/08 12:41 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択
どこまで幼稚なのか!(#゚Д゚)

「女性は子ども産む機械」柳沢厚労相、少子化巡り発言
http://www.asahi.com/politics/update/0128/002.html

 

 

・・・これだけ見れば、この大臣はなんて阿呆なんだと思うだろう。少なくとも正常な精神の持ち主ではないように感じる。大臣からしてこんな白痴である。日本オワタ。やっぱ核ミサイルで云々。(´A`)

 

 

が、これがまた例によって、マスコミによる歪曲なのであった。↓

 

 

◆柳沢厚生労働相発言要旨

なかなか今の女性は一生の間にたくさん子どもを産んでくれない。
人口統計学では、女性は15歳から50歳が出産する年齢で、その数を勘定すると大体分かる。ほかからは生まれようがない。
産む機械と言ってはなんだが、装置の数が決まったとなると、機械と言っては申し訳ないが、機械と言ってごめんなさいね、あとは産む役目の人が1人頭で頑張ってもらうしかない。
(女性)1人当たりどのぐらい産んでくれるかという合計特殊出生率が今、日本では1.26。2055年まで推計したら、くしくも同じ1.26だった。それを上げなければいけない。

(2007年1月30日06時00分 スポーツ報知)

 

 

誉められた比喩ではない。
が少なくとも「女なんざガキィひり出す機械にすぎん!( ゚Д゚)」と本気で思っているがゆえの発言ではない。苦笑いしながら「まあそうだねえ」で済む話である。だから講演会場でも、なんの反応もなかったわけだ。

 

 

ところがこれに反応するのが野党の連中。
辻本や福島あたりがキーキーと、辞任辞任と叫ぶ(http://www.kiyomi.gr.jp/blog/2007/01/29-1141.html)のはお約束、はては予算審議を欠席(http://www.asahi.com/politics/update/0205/007.html)ときたもんだ。

 

 

歯軋りしながらでも出席しろよ!(#゚Д゚)

 

 

何のための議員だと思っとるのか。野党とはいえ国民の代表たるお前らが予算審議を欠席するなど言語道断。ガキの使いかお前らは。
本気で政権を担うつもりなら、これほどの阿呆に政治を運営させている悔しさに唇を噛みしめながら、それでも審議の場で怒鳴り、机を拳で殴りながら議論に参加すべきではないのか。それが議会政治ではないのか。

 

 

実は小沢が合流した民主党にかなり期待していたんだが、これではダメだ。
「なりふり構わず政権を獲る」そうだが、そして政権交代が起きれば何かが変わるそうだがオレらはセカンド自民党を期待しているわけではない。対極の政党を期待しているんだが、それは判ってないのかあるいは判らないフリをしてるのか。

 

 

ついでに書くと、社民党の阿部は「謝って済む発言ではない」とぬかしたらしいがお前が言うな。
阪神淡路大震災の時に、知事や村山首相からの指示が遅れたがゆえに自衛隊が動けなかったことをつらまえて「軍隊は国民を守らない」といけしゃあしゃあとぬかし、非難されてもマトモに謝らなかったお前が言う資格はない。( ゚Д゚)

 

 

今年はほんま、「お前が言うな」が目白押しだし。
やっぱ日本おわっとるよな。(A`)


2007/02/06 01:44 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択
あなたを忘れさせない!( ゚Д゚)

日韓合作映画 「あなたを忘れない」
http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail/tymv/id326060/

 

こういう片田舎のブログにでもその記録を残し、ググればキャッシュにひっかかるようにでもしておかないとこの映画、数年後には絶対禍根となる恐怖を感じたので、久々にブログることにした。( ゚Д゚)

 

上記リンクにあるユーザーレビューはまさに戦場と化している。
否定派と肯定派が喧々諤々に言い争いをしており、もはやレビューではなくなっている。
裏返せばそれだけ、この作品は政治色を見出せるものだ。

 

肯定派の意見はほぼどれも同じで、「自分は作品として感動できた、反日にかこつけこれを否定する連中はおかしいのではないか」だ。
まずは作品としてこれを否定してみようか。

 

この作品の最大の欠陥はまさに「事実を元にした」にある。
作品の筋をおおまかに言えば、

 ・主人公が異国で少女と恋におちる
 ・少女の父親や異国の住民から差別をうける
 ・しかし主人公はあくまでも前向きに、夢に向かい生きようとする
 ・不幸な事故により主人公が死ぬが、その志は少女に、周りの人々に受け継がれる

となる。

 

 

はっきり言うと、この筋であれば主人公は死ぬ必要がない。
むしろ死なず、その行動により周囲の人々が徐々に変わり始めるようにすれば、観客により深い感慨を与えうる。最後に父親が主人公に対しわずかに理解を示せば、心地よい余韻を与えられたであろう。また現実のメタファーとしてもその方が道理となる。人はそう簡単に、都合よく感動的に死ぬものではないからだ。
が、最後に主人公を安易に殺すことで、とても安っぽい筋に落ちぶれてしまっている。

 

ではなぜ死んだか、なぜ殺したのか。
現実では主人公は死んだからである。
製作は「現実を元にしたフィクションである」と断わっているが、そうであれば結末も変えればよかったのである。現実という縛りに拘ってしまった結果、2流シナリオライターが書いたような内容となったわけだ。

 

 

ここで、ちょっと面白い問いかけをしてみようか。ぜひ考えてみてほしい。
もし現実では李さんが死んでいなければ、この映画は作られただろうか?

 

 

そう、李さんは死んでいなければならなかったのである。
誰も指摘しないようだがこの映画での最大の問題点は、李さんの死が殉死となっていることなのである。
なんに対しての殉死か?
当然、日本で受けた差別による殉死である。どのような差別なのかは、映画の中でたっぷりと語られている。
そして更なる問題は、現在の日本でこれほどの差別を受けることは考え得ないということだ。タクシーに轢かれ、韓国人だとわかったらひき逃げされただと?これが「事実に基づいて」いるなら、映画とかいう前にそいつを法廷に引っ張り出せ。なあに、製作側がする必要はない、その断片情報を与えればオレら2ちゃんねらが徹底的に祭り上げてやるから。( ゚Д゚)

 

 

後世こういう映画はおうおうにして、描写は現実的であると理解される。つまり後世の何も事実を知らない人間がこの映画を見れば、「これが作られた2006年の頃、日本では韓国人がこれほどに差別されていたらしい」と解釈することは十二分に考えられるのである。

 だから後の人々のため、そしてオレとお前らの名誉のために声を大にして記しておく。

 

 

「あなたを忘れない」の差別描写は、あり得ないほど誇張されている。2006年現在、韓国人が日本でこれほどの差別を受けることは決してない。


製作側は、「事実を元にしたフィクション」と喧伝し李さんの死を差別による殉死として扱うことで、この歪曲に肉付けを行い、事実だと錯誤させている。つまり、プロバガンダ映画である。

 

 

・・・願わくば、このブログがいつまでもググってヒットしますように・・・(´・ω・`)


2007/02/04 21:11 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択
山タフ、公開才ナニー!く( ゚Д゚)

自民・山崎氏訪朝、「拉致」進展せず=宋大使らと会談、きょう13日に帰国
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2007011300014

 

>9日からの平壌滞在の間、宋日昊日朝国交正常化担当大使や朝鮮労働党幹部と会談し、
>日朝平壌宣言(2002年9月)の有効性を確認。また、6カ国協議で核問題が解決し次第、
>同宣言の履行に精力的に努力することで一致した。

 

全日本国民(一部除く)を「はぁ?( ゚Д゚)」と言わせた山タフの突然の北訪問。
本人は「一応の役割を果たしたのではないかと考えている」などと言っている↓が、
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2007011300211
上記の報道からは日本の国会議員として殆ど何の役割も果たしていないことがうかがえる。

 

それどころか、平壌宣言の有効性を確認、とかさらりと言いのけているが、北朝鮮が核実験を行ったことおよび拉致被害者やその遺骨の返還すらまともに行っていない状況で「有効性」も糞もない。核問題が解決次第精力的に努力するとか言っちゃってるし。

 

どうみても北のスポークスマンとしての役割を果たしています(A`)

 

ただ今回、国民的には「いつ誰がてめえに外交の権限を与えたってんだコラ(#゚Д゚)」というとこだが、政府にとってはどうもちがうらしい。山タフの訪北に不快感を露わにしつつも強制的に出国停止にしなかったからだ。
これは一体どういうことか。

山タフの訪北前後の動きから、このなぞを紐解いてみよう。

 

1/5 山タフ 7月の参院選について「与党で過半数を割ると国政運営はマヒし、
ひいては政権交代を余儀なくされる」
http://rd.nikkei.co.jp/net/news/seiji/headline/u=http://www.nikkei.co.jp/
news/seiji/20070106AT3S0500U05012007.html
1/6 山タフ 「検討中の北朝鮮訪問は3月で調整している
http://rd.nikkei.co.jp/net/news/seiji/headline/u=http://www.nikkei.co.jp/news/
seiji/20070107AT3S0600706012007.html
1/7 山崎派関係者 「圧力一辺倒の安倍外交への不信感が背景にある」
http://www.sankei.co.jp/seiji/seikyoku/070107/skk070107003.htm
1/8 山タフ北京入り
1/9 山タフ平壌入り
  安倍晋三首相 「日本の基本的な方針、そして国際社会の認識を踏まえて
もらいたい」
塩崎官房長官 「政府と連携した動きではない。山崎氏の議員個人としての行動だと
いうことに尽きる」
外務省首脳 「成果があるとはとても思えない。なんで行くのかよくわからない」
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20070109&j=0023&k=
200701097676
1/10 中国外交部 「われわれは、日朝両国が接触と交流の強化を通じて、
相互信頼を深め、関係を改善することを、一貫して歓迎している」
http://www.pekinshuho.com/jp2005/2005-wj/2007-02/2007.02-week-4.htm
1/11 加藤議員 北朝鮮訪問について「半年後くらいには意味があったと
理解されるのではないか」
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2007011101050
1/13 山タフ北京入り

とりあえず、9日の政府および官僚の山タフバッシングがものすごい勢いです。
6日の時点で「3月くらいに行くかなあ」と牽制しながら8日にいきなり北京に到着。
報道から読み解く限り、ほぼ完璧に
山タフのスタンドプレイっぽいですねプギャーm9(^Д^)

しかし不思議なことに、9日~13日の約5日間の滞在で話し合ったことが、冒頭の内容しかないそうだ。
会談も15分間とかごく短いもののようで、多めにみて5日間で2時間の会談を行ったとしても、あとの120時間近くは一体なにをしていたのか。もしくはその120時間で、公にできないことを話したのか。または喜び組と情を結びまくっていたのか。

さらに大変興味深いのは、加藤議員の「半年後くらいには評価されるのではないか」という言葉だ。
これは口からデマカセなのか、もしくは彼なりの根拠があるのか。

 

政府が山タフに何らかの処罰を与えるか否か、また処罰の軽重にも注意が必要だ。
それ如何で、この訪北がどういう性質のものだったのかがわかるだろう。( ゚Д゚)


2007/01/13 23:26 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択

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